寺伝に依れば、雷電山慈心院萬福寺は、寿永2年(1183)源平争乱に敗れた平氏一門は西国に都落ちをしました。その時、既に個人であった小松内府重盛の遺臣平貞能は、重盛の遺骨を奉じて九州を経て縁故を頼り東国に逃れ常陸国を流浪しました。小松寺(城里町)に庵を構え重盛を弔った後、さらに源氏の追手を配慮し若海(行方市)の常陸平氏の庶流である行方次郎を頼りました。貞能は分骨して重盛を弔う一草庵を結び、僧となり遺骨とともに京から持ち運んだ阿弥陀如来立像を安置して、主君重盛と没落した平家一門の冥福を祈りつつ生涯を終えたといいます。
ご本尊の阿弥陀如来両脇侍三尊立像は、稀有の秀作であり、一説には平重盛が京都東山の地に四十八願の祈願を込めて安置した尊像と伝えられています。当時、京都市中の悪病が流行蔓延していましたが、その平癒を祈ったところ直ちに霊顕し治癒したとの伝説があります。
常陸平氏の嫡流である芹沢氏は、南北朝期になると本貫地であった相模国芹沢から常陸国行方郡朝日丘に城を構えました。寛正5年(1464)には時の城主芹沢俊幹が、忠伝和尚を招き実母である慈心院殿の菩提を弔うとともに、若海の重盛を弔ってきた草庵を芹沢に移し慈心院萬福寺として開基しました。
江戸時代になると水戸藩二代藩主徳川光圀の寺社改革により、元禄10年(1697)に現在の羽生に移りました。
開山 二十七世 三十二世 三十六世 四十一世 四十六世 四十七世 四十八世 四十九世 五十世 |
忠伝 | 開基 貞覚尼 |
栄枝 | 承安3年(1173)寂 | |
応順 | ||
尊栄 | ||
宥範 | ||
亮舜 | ||
亮慶 | ||
舜芸 | 文禄2年(1593)寂 馬場徳蔵寺(現:小美玉市下馬場、徳蔵寺 香取篤澄:兼務) |
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忠存 | ||
亮朝 | 慶長酉<慶長2年(1597)若しくは慶長14年(1609) | |
朝海 | 慶長18年(1613)寂 | |
亮慶 | ||
忠誉 | 寛永3年(1624) | |
弁海 | 寛永20年(1643) | |
尊秀 | 中井昌明院(現:鉾田市中居 照明院 酒井貫全:兼務) | |
天雄 | 東叡山(現:筑西市関城地区)に山号東睿山を有する寺院:千妙寺、青木英暢代表役員住職)塔頭として養雲院・心性院・安楽院・積善院) | |
勝海 | 延宝4年(1676) | |
舜清 | 元禄4年(1691) | |
舜応 | 元禄10年(1697) | |
広海 | 東叡山(前掲) | |
快栄 | 元禄14年(1701)寂 平戸東蔵寺(現:小美玉市上玉里平戸には飯塚山観誉坊成就院が存在するのみ) |
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快尊 | ||
泰順 | 元文元年(1736)寂 笠原不動院(現:水戸市東原? 不動院、瀬良純契:兼務) |
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良潭 | 宝暦6年(1756)10月 堂社再建 明和<元(1764)?年>寂 |
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純覚 | 明和2年(1765)日光山寂 薄葉大悲寺(未確定) |
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憲頂 | 下大野玉泉寺(未確定) 寛政12年(1800)寂 |
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舜明 | 能仁寺(現:高萩市上手綱、能仁寺 住職:常葉純照)へ 寺歴代住職に舜明和尚名有り 寛政11年(1799)寂 |
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運明 | 徳蔵寺(前掲)へ 大里来迎院(現:常陸太田市金砂郷大里 来迎院 住職:小川晃顕)へ閑居、文化2年(1805)寂 |
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高慶 | 文化2年(1805)鐘楼堂建立 文化3年(1806)玉里(現:円妙寺若しくは成就院)にて寂 |
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鐘海 | 大里来迎院(前掲) 鳥羽田(現:東茨城郡茨城町鳥羽田 円福寺 住職:三島純光) |
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宥寛 | 高貫寿福院(未確定、行方市岡には寿福寺があったが焼失) 文化15年(1818=文政元年)山門竪儀を勤める ※山門竪儀()? |
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俊承 | 馬場徳蔵寺(前掲)、浜村東福寺(現:行方市浜 東福寺 住職:佐藤舜章)文化3年 | |
良宜 | 捻木村西光寺(現:行方市捻木 西光寺 住職:香取亮澄) 天保6年(1837)寂 |
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儀順 | 客殿葺き替え 天保11年(1840)寂 |
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深信 | 水戸吉田山(現:水戸市薬王院)学頭祖道章信の弟子、東叡山(前掲)学校 勤学講院・仙波中院目代を勤める | |
札考 | 東叡山(前掲)学校10箇年勤務 | |
礼順 | ||
海潮 | ||
舜降 | 塩崎長福寺(現:水戸市塩ヶ崎町 長福寺 住職:山田純正)舜善の弟子 仁王門葺き替え |
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舜昇 | 玉造村宝幢院(現:行方市玉造乙 寳幢院 住職:舘亮恭)舜善の弟子(舜善は文久年間に寶幢院に在寺) | |
舜善 | 天保9年(1838)から3年間住持、浜村東福寺(前掲)へ | |
舜瑩 | 浜村東福寺(前掲)へ、明治14年寂 | |
舜康 | 西蓮寺(現:行方市西蓮寺 西蓮寺 住職:鈴木亮貞)舜善弟子玉造寶幢院に転住 | |
尭順 | 常陸行方郡麻生青沼円通寺(現:行方市青沼 住職:香山厚雅)出身 大正8年(1919)華徳院(現:鉾田市汲上 華徳院 <当寺四十四世住職名の記録有り>住職:坪井実道)住職、同11年(1922)当寺住職就任、昭和31年(1956)本堂大工事、同33年(1958)阿弥陀如来三尊茨城県指定有形文化財指定、同40年(1965)寂 |
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尭延 | 昭和46年(1971)阿弥陀堂改修、昭和48年(1973)阿弥陀堂及び仁王門茨城県指定有形文化財指定、昭和63年(1988)仁王門萱葺屋根葺き替え、平成15年(2003)木造阿弥陀如来立像玉造町指定有形文化財指定、平成21年(2009)寂 | |
明然 | 平成21~22年度(2010)金剛力士像修復、平成23年(2011)金剛力士像(仁王像)行方市指定有形文化財指定、平成25年度(2013)阿弥陀堂茅葺屋根葺き替え工事 |