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文学碑と金石文

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土子啓山句碑

土子啓山句碑 萬福寺境内には、江戸時代の俳人土子啓山の句碑があります。啓山は、姓は山中と言われ筑波庵の俳号を有していた羽生村(行方市羽生)生まれの文人でした。文政期を中心に活動した一世啓山は、隣接する小川村(小美玉市小川)の小川社中で、松尾芭蕉と親交のあった本間道悦の末裔の本間玄琢(俳号松江)等とともに俳諧の創作活動を続けたのでした。その後も二世啓山(半助)、三世啓山(後に越蓑)と明治期の俳句へと続く家系であったようです。
 また、活動拠点であった小川村の天勝寺境内にも小川社中の仲間たちが啓山の実績を讃え句碑を天保2年(1831)に建立しています。

【萬福寺境内の句碑】
 おのずから 身にしむ声や ほととぎす 筑波庵

【天勝寺(小美玉市小川)境内の句碑】
 草臥 たさきへ廻るや かんこ鳥  <裏面> 天保2年 小川社中

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